生涯、唯一の恩師。

10代の頃、
中途半端な自分を
最初に認めて下さった、
先生が亡くなった。
10代の頃、
自分のココロの中に
仕舞いこんでいたモノを
最初に見つけて下さった、
先生が亡くなった。
稽古をしている時も
先生の目に留まるように
セリフは誰よりも早く覚えました。
先生の話はいつも
心地よく聞けてたんですが、
仲間も手前もあって、おしゃべりしてました。
本が大嫌いだった僕ですが
「○○ちゃんは、小学生でスタンダールの赤と黒を読んだのよ」と
聞いたので、実は僕も読みました。もう中学生でしたが・・・
あらすじを聞かれても答えられないので内緒にしてました。
色んなコト言い忘れてますが
ひとつだけ・・・
もっと早く
100日展に招待すればよかった。
先生なら、100日展の会場で、
チョットでも良いところを見つけて
褒めてくれましたよね。
もう一度、先生に褒められたかった。
今日の最初の挨拶で、
「先生の意志を引き継ぐ」って
何方かがおっしゃってましたが、
僕には無理ですよ(笑
僕は今でも
先生の生徒ですから。

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そうそう!
お別れの会に遅れたのは、
先生がもう居ない事を
認めたくなかったのと、
先生が晩年を過ごされた地を
写真機片手に道草していたからです。
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北川欣子先生、
ありがとうございました。
合掌。
2009年6月14日
 
EPSON R-D1s + Kino Plasmatt 1.5/50

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